キャラクター消費の分水嶺。

今日はゴシック熱が薄れたのでゴシックネタではないが二次元の制度というか真理を引きずっていく。
長文更新するくらいなら論文進めろよという突っ込みもあるが、それはさておき。

Xuse新作『お嬢さまはご奉仕中♪(仮)』に賛否両論
http://otasaga.blog16.fc2.com/blog-entry-74.html

一度確立したキャラクターを消費して展開することの白と黒。
本編に対して、ファンディスクだからかなりの自由度が許されるし、パラレルワールドにするなり夢落ちにするなり年増の巫女に異世界に拉致して修正して頂くなり、パラドックスを発生させない方法はいくらでもあるわけで、俺自身は「最後に由佳里先輩が倉庫から刀か何かを持ち出してKill them all!!で館を焼き払い廃墟で高笑いを上げる」くらいやってくれるならまあそれはそれでOKという結論に至ったのだが、俺みたいなィヵιた嗜好の人間はともかくとして、NTR属性やキャラクターをエロ対象として割り切ったユーザーは肯定的な評価を下している気配。
しかし収まらないのが純愛派の由佳里先輩ファン。掘れた惚れた(なんだこの一発変換はorz)女性(ヒロイン)との再開を心待ちにしていたらいきなり「親(メーカー)の手で客を取らされている画像」のEden*1のURL送りつけられたみたいなものじゃないか(笑)。


整理するまでもないだろうが、ここで見えてくるのは「キャラクターに対する姿勢」と「物語に対する姿勢」、そして「ユーザーの嗜好に対する計算姿勢」のそれぞれの2分割。
まずXuseにとって三ノ宮由佳里というキャラクターは「エンド後のほのぼの」よりも「不本意で過剰なエロ」で利益を稼ぎ出すべきものだという判断があったということだろう。
さらには、「純愛側のユーザー」ではなく「エロス重視のユーザー」を選び取ったこと。たしかに純愛路線のユーザーを選択し、本編エンド後の由佳里先輩を題材にしても、販売は旧作ユーザーのうち由佳里先輩派、すなわち最悪の場合単純思考で6分の1から3分の1程度しか見込めないことになってしまう。本編をやって無くても「とりあえず使える」ようにしておけばイベント販売数は多くなるかもしれない。ましてや、「二次元の制度・真理」が変な形で強化されてしまった現在ではエンド後作品で新規ユーザー参加は考えにくい。
一度決着した物語に矛盾が出るようにいじることは、単純に書き手の姿勢としての問題。これについては多くを語るまでもないな。それを良しとするのも書き手だし、破綻をどう始末するかも書き手だから。*2


良くも悪くも、この事態がどう転がるにせよ、これはキャラクター消費という構造の一つの限界を示すものになるかもしれない。これまでポストモダン方面で語られてきた「キャラクター消費」の前提とは明らかに異なる「キャラクターを愛すること」(あるいはその社会的許容と対社会開き直り)の状況での今作はどう受容され拒絶されるのか、なま暖かく見守っていきたいと思う。


とはいえ、まだ比較的楽観視&現在を過大評価しているのも事実。
だってさー。
俺って詩乃先生派だし〜。
暗黒SNOW』っていう悪い実績出してくれたメーカーもあるし〜。


ついでにサンプルとして由佳里先輩ファンの生の声ひとつ。
http://d.hatena.ne.jp/./diktator/20051029#p1

*1:エロゲ史上確実にトップ10に入る鬱ゲー『螺旋回廊』に登場する、陵辱サイト。インターフェースは実によくできていた。

*2:ちなみに以前age系サイトでは「遙ファンディスク」の賛否がもの凄い勢いで吹き荒れた(当時私もその中に居たわけで、表サイトで炎上の危機さえ感じてた……杞憂でしたがw)。清水マリ子のノベライズが水月エンドだったのは「清水マリ子作品とはいえ全要素ぶち込みのパラダイムが絵本ネタスルーはあり得ない」という諦めがあったわけだが、アニメ版が終盤超展開で「事実上オフィシャル見解としての水月エンド」になだれ込んだことへの批判とボークス商法への不満と「オルタマダー?!」の定時貼りが渦巻く中での「事故がなかったら」ファンディスクはそりゃもう悪い方向にも盛り上がった。現在ageがどうなっているかなんて書くまでもないだろう。先日の茜誕生日祭りを見れば分かるようにファンサイトも次々降りているのが現状。寂しいと言えば寂しいが、メーカーの自業自得……。