敵に回すか維持するか。

ちーちゃんは悠久の向こう』読了。

ぶっちゃけた話、オチが腐ってる本編はどうでもいい。久美沙織の解説の方が面白い。
まあ、そこまで「少年」を追い詰めたのはいったいどこのどいつだという怒りは保留しておく。世界を維持しないと愛する1人さえマトモに生活できない*1ほど社会化・資本化された「セカイ」にしやがったのはどこのどいつだという疑問も保留しておこう。それが三次元世界の現実なんだから。


でも俺の場合、どうしても大切な人間のためならセカイなんざ消し飛ばしてもかまわないと言い切るキャラの方が好きだし、それが叶わないならいっそ世界ごと作り替えてしまえばいいと考えるヒロインが大好きである(殺してでも自分の物にしようとするヒロインはもっと好きだがそれはさておき)。


「個人のために世界を敵に回すか、個人のために世界を維持するか」テーマの「天秤」。「現実的には」後者の方が支持を得られるのは当たり前*2で、前者を選ぶのはきわめて困難なのだから、前者のような「少年」の減少は「現実として」当たり前のこと。ただ、後者を「『現実』とは別の理由から自らの意志で選択した」という構造がなければ読者の共感は得にくいだろうがそれは別の話。


この対立を、今、あえて真っ向からやった(そしてこれまでの作品も収束した)という点でも、『ウィザーズブレイン』5下は高評価だったのかもしれない。4上下買わなきゃ……。

*1:監禁とか拘束とかそういうエンドがお好みならそれもまた世界とは遮断された愛だろうw。

*2:考えてみれば、日本に前者の思考が登場したのはあくまでも戦後のこと。それまでの日本人はどちらかといえば後者寄りで、戦時には家族という「個人」のために日本国という「セカイ」を護るために行動していたのだから、後者に親和性が高いのも無理もない。