相対化と相対化の狭間。

大会二日目。
ガンダムの「事情の考慮・正義の相対化」が目立った*1のはやはり一度断絶があるからだと私は思う。
それはもしかするとゲッターなど70年代前半のスーパーロボット*2であり、一部の受け手しかその事情を見ることのできなかった70年代後半のスーパーロボット*3かもしれない。


●ミリタリーカルチャーの安楽死は困難だと思う。逆に女性メディアにおける「ミリタリーカルチャー」準拠の「王子様」を安楽死させることと同時進行・同時撃滅でなければ試みることさえ不可能じゃあないかなと。ミリカル抑圧の反動から紺碧やエリ8読んできた世代の感覚だけど。


●戦時少女雑誌のあるべき少女像*4……この発表で挙げられた慰問人形と、兵士と少女の関係「相手の顔の見えないオープンな思慕」は形を変えて今でも生き残っていると私は思う。まず慰問手紙はいかなる兵士も代入できる形で書かれた物であり、このオープンな意識的動員によって戦意が高揚する*5。また、それに対してやはりオープンな形で、誰が作ったかを特定しない人形(もしかしたら私の物?)を大切にしてくれる、(編集部によって作られたキャラクターの)兵士に感謝と応援の動員をする。以前少女雑誌の「花物語」で代入項が空白のモノローグを見たときに感じたことにも似てくるのだが………なんだろうこの既視感は。



◆結論
 どこまで行ってもヲタはヲタ……orz

*1:藤本先生の指摘より。

*2:アカツキ「ボクが見ていたアニメにはそれぞれの正義があった。君はもっといろんなアニメを見るべきだった」(『機動戦艦ナデシコ』より)

*3:コンVのガルーダ、ボルテスのハイネルなど。

*4:増田のぞみ先生(関西大学大学院)の発表。

*5:「真っ赤なスカーフ」式思考?