文化継承の不在。

 月曜のゼミでは「読み継がれる」「後々読まれて評価される」的なブンガクノテイギが質問者から上がったが、たしかに、ラノベという領域にはそういった後進指導(?)性はあまりないように思える。


 アニメやマンガの場合「とりあえずこれは見ておけ!」と「先輩方」からビデオや単行本が流れてくるのが常で、私もまた『トップをねらえ!』を筆頭に「布教活動」攻勢に曝されてきた。そういう活動に使われる作品は十年〜二十年単位で固定するし、ある意味において登竜門とか必須要件とか、そんなものになっている。
 翻って、現在のラノベ世界にそういう「教典」的な、十年単位で維持されるものについてはどうだろう。ちょっと前であれば、『ぼくらの七日間戦争』や『銀河英雄伝説』がそんな位置にあった。あるいは小説版ガンダムがネタ混じりに*1挙げられていた。まだ現在あるレーベルの大半が存在しなかった頃の話。
 ところが、今この手の文庫ジャンルについて、ひかわ氏あたりから「面白いのある?」と聞かれて即答で薦められる、あるいは(当該質問者に合わなかった場合の分量的価格的障害を考慮した上で)「これだけは読んでおけ」と強硬に薦められるものが現在新品で揃わないというもどかしさを感じることがしばしばある。
 これまでは世代を過ぎれば当事者が去る世界だったから行われてこなかった「継承」ともいえる行為が、今になって、必要となってきているような気がする*2。だからこそ出版業界はガイドブック的なもので指針を出しているのかもしれない。


 ここ二年ほど、児童書方向でもそういったパンフレットが作られている。こちらもまた、エンデの死後「お堅い文学」としてではなく、子どもたちの興味のままに読書へと引っ張れる旗手を失い、同時にファンタジー作品の乱立が発生し、高学年・中学生向け児童文学が一気にシビアな方向へとシフトし、安心して薦められる本を見失っているような気がしてならない。絵本のパンフレットも同様……こちらは最初から大人をターゲットにしたものや、政治臭い絵本が増えたことも影響しているかもしれない。


 テクストとして対象に据えることの無理をひしひしと感じながら、文化現象論とすることに拒絶を持っている今日この頃。時間はあまり無いのに、立ち位置が決まらないのは大問題。
 そんな私が強く薦める児童書の筆頭はジム・ボタンとホッツェンプロッツ。低学年の子どもに訊かれると豪快に死角だったりするけど。

*1:ただし結城版0080はあらゆる意味において別格。

*2:「先輩方」が現役読者であった頃の作品がまだ完結してない、なんて場合も珍しくないが!!