世代間格差

個人的に面白いと思った、iduruさんの『電波男』レビュー。
http://d.hatena.ne.jp/./iduru/20050315
(レビューは13日から継続中)

もしかすると、本田氏より10年年下であり、Windows95以後に接するのが3年遅れた私はiduruさんのいうところの「屈折すら感じない」世代に属するのかもしれないなあ……と思ってみたり。なぜなら

恋愛の肯定的にであれ否定的にであれリアルでの恋愛の重要さを学んだ後に「萌え」と出会うのではなく既に「萌え」とリアルが共存し時には前者が後者を凌駕していく世界において生まれ育つ世代

は限定されたかたちであれ存在すると私は思うからだ。
本田氏の世代は良くも悪くも「思春期」から「二次元文化隆盛」の間にタイムラグを抱えてしまった*1ことでリアルでの痛撃を受けているのに対して、「思春期」に「二次元文化」が並立してからの世代はリアルを経由することなく広大な二次元へ飛び込むことが可能になってしまったからだ。


それは我々の世代が、吉住渉ママレードボーイ』小花美穂『この手をはなさない』に代表されるような恋愛資本主義低年齢化期に曝された世代であるのと無関係ではないだろう。思春期から汚さに慣れきってしまった(リアル、創作問わず)世代にとって、性(身体構造等含む)に対する好奇心を断ち切ることさえ出来れば三次元を離脱することに躊躇いはなかったのではないか。さらにいえば、ちょうどその頃サンライズがいい意味での「極めてわかりやすい」価値観*2の作品を放映していたことも無関係ではないだろう。ちょうどキャラクター系市場が拡大し、やや遅れて電撃文庫が創刊された。裏切りと打算に染まった恋愛に目を向ける三次元の潮流よりも、「誰かのために、愛する人のために、仲間のために」行動する「どこまでも遠く、限りなく近い世界」二次元へと旅立ってしまうのも無理のない世代だった。
そんな中でさえ私は中学二年という当時としては異例の早さで旅立ってしまい(その原因は中学時代の吹奏楽部だったりするが、まだ二次元という地にはたどり着いていなかった……片道燃料で出撃後行方不明状態だったのだ。)、しばらく趣味を転々としている間に普通ならあり得ない方向へ邁進してしまった。そのためか、『電波男』の「未だ信じようとしているもの」はまったく共感の外にある。そんな男が法学部入って親族相続法勉強してみろ! ダンテじゃないが「全ての希望を棄ててしまいましたどうしましょう」だぞ(笑)。
故に私は「完全に旅立った人間以外は引くが、まだ三次元にいる人間が読むもの」だと感じた部分があることを否定できない。「オニババ」「負け犬」文脈から読むことを奨めるのもそこが理由だ。解脱完了したヲタが読んでも「だから何?」という未練がましく見える部分が実のところかなりある。
むしろ私はそこまで行ってしまった人物によるこの手の本を読んでみたい。
売れるような気はまったくしないけど。

結局落ちてないがそんなことを思った次第。

*1:時代的な問題と同時に、思春期から18歳以上までの間、コンシューマーに「二次元文化」がなかったというのも原因のひとつだろう。

*2:エルドランシリーズ勇者シリーズ。なかでもライジンオーゴウザウラーマイトガインの3作を上げておく。そこにGガンダムが重なってしまうともういろんな意味で大変である(笑)。