18禁と本末転倒

表現の自由規制〜ゲームも禁止〜
http://plaza.rakuten.co.jp/kouzitu/diary/200503050000/

なんというか、スケープゴートのネタ探すのに必至だな(笑)。

また、思春期の若者の脳みその中なんて欲望で一杯です、もう常に脳味噌はグッツグッツ煮えたぎってます。
自分も中学生の頃なんてただのサルでしたし。

実際まったくもってその通りだよなと思う。自分の中学前半*1とか振り返っても人体模型には存在しない「胸の内部」に好奇心が向いてしまい「切開してみたいなあ」とかどっちかというとヤりたいよりバラしたいだったとはいえ結構煮えてたし、まったく否定しない。
引用の仕方がかなりマズイのは解っているけれども、この「欲望」を否定したところで文学にせよドラマにせよ、読者・視聴者の琴線に引っかかるものが生まれるのか、という基本的なことに気づいていないのが規制側。

過去ログにも書いてきたようにティーンズ小説・ライトノベルを(あくまでもジュブナイル文学としての立場から)題材としている私だが、実のところ発表の際に似たようなことを二人の教授からツッコまれている。

A「ボクなんかスケベだから男と女の問題とかそういう悩みが(思春期の登場人物には)あるのが自然だと思うけど、そういうジャンルはそのへんを誤魔化してしまうから却って難解に見えるんだ」(私の記憶はちょっと曖昧)
B「レーベル、ジャンルの枠に縛られて書き切れていない。私は大森望を書評家として信頼していて、彼が薦める本も読んだけどそれでも書き切れていないと感じる」


(A、Bは便宜上であってイニシャルではありません。)

正直なところ、中三の時には(ヲタ的にいうところの)「解脱」完了*2してしまっていた私にとってA教授の言うことは「それが当然とは限らないし〜」と半分流していたのだが、B教授の言うことはストレートに落ちた。おそらくB教授が言った書評は今日買ってきた本のことじゃないかな〜と思うのだが、『デビル17』を肯定的に扱っていることから考えると*3、「書き切」るためにはどこまで暴走しなければならないのかと思う。実際制限はきついけど。
たしかに旧来の文学観でいえば「葛藤」が曖昧に切られてしまっているものは「書き切れていない」と一笑に付されてしまうところだし、私とて「消化不良」と切って棄てる。違うのは、葛藤の未完性は「大人の現実」に対する「少年の妥協」、成長の一環として肯定的にとるかどうかの問題だと思う。そこに制限があるというのなら、その制限こそが大人と少年の実に曖昧な境界なのだと理解せざるを得ない。


さて、そういった葛藤や、その発露を「書き切って」しまうとどうなるか。それはもはや表面上少年少女メディアではなくなってしまう。恋愛はそれで終わるにせよ終わらないにせよヤるとこまでいってしまうし、自意識は生きるか死ぬかまでいくかもしれない。そこで、それらを少年少女の目に触れさせたくないと考える社会は、少年少女にそれらを忌避する(反射的に目をそらす)価値観を植え付け、発表媒体や形式(文章の漢字量や文字サイズを含む)で区別を行い、年齢制限などの障壁を設けた。
しかしそれは逆に言えば「年齢制限メディアの上でならどこまでも作品を詰めることが出来る」ということに他ならない。たとえば血撒き肉飛び散る生々しい描写のハードアクションは「18禁業界でなら」完成可能なものになったと同時に、「18禁業界でなら」当然必須とされる性描写を商業上取り入れなければならないという束縛が発生してしまう。以前はまだ敷居の高かったスニーカー*4やコバルトを含む*5分水嶺の向こう、閉ざされた世界に集結する作品群と、そこで展開される性の世界への希求はその外側に強く発生し、自分からその内側へ突っ込んでいく*6ことの出来ない「外側の住人」の衝動は自分のいるところを変える方向に作用し、あとはなんとか踏みとどまっていた「きわどい世界」からなし崩しに倒れ込むだけだった*7。抑えきれなかった衝動の行き先が、特に大人への志向の強いローティーン向けファッション誌(マイバってまだあるのか?)や当時からエロかった少コミを斬り込み隊長としてメディアに向いてしまったのではないか。


つまりは少年少女世代の持つ禁忌への価値観が変わったことにまとめてしまうのは簡単だが、私には年齢制限という外的制約が彼らの内的制約を上回る好奇心を発生させたような気もするのである。なんというか行列のラーメン屋の、食ってみるまでは衝動が募る割に食ってみると「もういいや……」というか……あれ?結局俺何書いてたんだっけ。

*1:そのころはまだノーマルのアニオタだった。

*2:なお、この当時は幸いにして未だ縋るべき偶像には出会っていなかった(笑)。さらにいえばその頃既に女性の外見を見る基準と戦闘機や艦船を見る基準が同じだった(笑)

*3:私はあまり面白いと思わなかったし、どちらかというと三村女史に近い感覚なのかもしれない。

*4:その時代的意味において魔獣戦士ルナ・ヴァルガー〈1〉誕生 (角川文庫―スニーカー文庫)悲しみ君、さよなら (角川文庫―角川スニーカー文庫)みなごろしの学園―デビル17〈1〉 (富士見ファンタジア文庫)との意味は大きく異なる。

*5:逆に言えば敷居よりも手前に『コロコロ』『ボンボン』『ぴょんぴょん』といった比較的低年齢層の「安住の地」がまだ機能していたということでもある。

*6:二時間ドラマ系推理小説にエロを求めるとか、抜け道を直感的に知っている少年少女は結構いたと思う。

*7:私の中学時代では『BASARA』でのB(笑)だけで騒然としていた。一方で関西圏では夕方にパピヨン時代(?)の『ハングマン』や『必殺仕置人』再放送してたりもしたが。