さて。

私立!三十三間堂学院 (電撃文庫)

私立!三十三間堂学院 (電撃文庫)

天国に涙はいらない』『LAST KISS』等、ヲタ文化を逆手にとった作風の佐藤ケイ新刊を買ってきた。『i.d.』3巻をまだ読んでおらず、ラノベを積むという私にしては珍しい状況。それもこれもみんなインスペクターとシャドウミラーのせい(コラ)。

で、ヲタク的虚構を逆手にとったエンターテインメントに関連して、

いとうのいぢ画集 紅蓮

いとうのいぢ画集 紅蓮

と思いっきり発売時期がかぶってしまい予算に苦慮している(ぉぃ)新刊が、
オタクの遺伝子 長谷川裕一・SFまんがの世界

オタクの遺伝子 長谷川裕一・SFまんがの世界

だったり。

「オタク的快楽が、ある種常識的な人々に怖気をふるわせる理由は、その人工物や虚構への耽溺でしょう。(中略)しかし本当に人工物、そして虚構とは、何も生み出さない不毛なものなのでしょうか? そして人工物と虚構で埋め尽くされたオタクの楽園には、本当に「外」が存在しないのでしょうか? 本書のテーマは、実はそういうことです。オタクの楽園は本当に不毛の荒野、管理された箱庭、ポルノグラフィックなディズニーランドでしかないのか――ということです。その問題について考えるために、オタクの原点であるSFについて、いま一度考えてみよう、という作業の、とりあえずの最初の一歩です。――稲葉振一郎「はじめに」より

虚構でしか存在し得ない世界が本当に不毛なのか、という類の問いは「一部の真摯に取り組んだもの」について肯定するル=グウィン、あるいは開き直りに近いピアズのように一部「作り手」や「受け手」が擁護する(ル=グウィン表現するところの「ゲットー」)ことが中心だっただけに、個人的に期待している一冊。私なんかは「都合のいい箱庭」といえども考えるべきところは考えてしまうし、それが考えられなくて作品を楽しんだといえるのかという疑問を持ってしまうのだが、やはりそれは内部的感想に過ぎないわけで、外部から見れば「結局どれもハーレム*1でしょ」ということにしかならない現実の社会での「問題」の扱われ方は、ヲタ的雑学は無駄にあるが社会学的下地・前提の薄い私にとって勉強になると信じている…けど予算は常に冷酷だ……orz


といっても、私は当の長谷川作品を『マップス』はおろか(OVA全盛期に中学生だったのに)『クロスボーンガンダム外伝』も読んでいない。辛うじて『ダンクーガBURN』1巻を立ち読みして、なぜか手元にある『コミッククラフト』の『ドラゴンハリアー』だけしか読んでいない。まさしく稲葉先生のブログ(http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20050210#p2)にある

「稲葉 失礼な言い方になるかと思うんですけど、常に長谷川さんのファンの間で囁かれてるのは「絵がアレだ」とか「いやアレがいいんだ」とか。

長谷川 言われ続けて十ウン年っていう感じでもう(笑)。」

あるいは2漫から引用すると

「絵に関していえばアンチから見て「へたくそ」、信者から見て「デビュー時から古かった」評論家から見て「昔懐かしい少年漫画」などといわれてしまうが、あの絵でなければという人も結構多い。」

いう具合にご本人含め関係者の間では既に周知の「絵がアレ」ゆえに少なからぬ人々にスルー食らってる長谷川まんがでありますが。その壁を突破するのに果たして本書は役に立つのか――が問題であります。

……こういう状態だったり。せめて『マップス』だけは読んでおこうかなあ……。

*1:例としてトラヴュランス系列。もっとも「恋愛=戦争」思考ゲーマーの私にはハーレムゲーなんて面白くも何ともないわけだが。