究極の「神話」としての技術

 ……というわけで美学関連レポートの資料としてブルーインパルス関連書籍とF-117、スカンクワークス関連の本を借りてきた。
 ドイツロマン派あたりが提唱した「新しい神話」は結局のところ、技術から美術への変遷で生じた作り手と受け手の乖離、抽象主義と複製技術によって「いかなるバックボーンがあっても共通の感動となり得る要素」すなわち技術ではないのかと私は思う。
 講義において「芸術は発見だ」とK教授は言う。しかしその「発見」はリアリズムの絵画・彫刻でもない限り当該芸術家および同じ感性を持つ人間にしかわからない。そうなってくると最終的には「技術」に目が向いてしまうのではないだろうか。
 そこで残された共通感覚が「技術」だろう。芸術性の有無を問わず、仕事の精密性・完成度、それらはまさしく芸術である。エンジン単体を「芸術品」だと呼んでしまう機械雑誌の感覚はそこにある。

 もちろんこれだけでレポートが書けるとは思わない。外形についての書き方を考えないとなあとも思うわけで。