はっは、何を言ってるんだ

エロゲ原作アニメは何故全ての作品が大失敗に終わるのか
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51362071.html

 あえて言おう、『School Days』と『ef』は、俺的にはエロゲ原作アニメの大傑作であると!


 特に『School Days』。
 あれほど「少女化するエロゲ消費者男性」をサディスティックに抉った演出はないと思う。というかあれはジジェク言うところのヒッチコックスラヴォイ・ジジェク『汝の症候を楽しめ』筑摩書房2001)そのものである。


 具体的には、「誠死ね」という消費者の「手紙」を見事に受け取って、その上で「誠死ね」の論拠である少女マンガ的正統性(「私は誠君の彼女ですから」……ステップを踏み彼女という身分を得ることが大前提の少女マンガ時空では、彼女ではない世界が妊娠することは「絶対にありえない」)の徹底と、執拗な再確認(「やっぱり嘘だったんじゃないですか。中に誰もいませんよ」……彼女ではない世界が振りかざす妊娠という要素は、「少女」である言葉にとって何ら正統性のあるものではないことを証明する)をやってのけたスタッフは、実に素晴らしいと言わざるを得ない。


 あまつさえ、このような(消費者にとって不快感さえまねくであろう)認識を、画面上、構図上の美しさを損なうことなく描いている。
 言葉を胎内から見上げるカットの切断窓とヨットの舷側の対比、女性器を表すヨットの上空映像(帆がナニでキャビンがナニである)、その中で胎児のように眠る言葉の姿」のコンボは気付いた時には鳥肌が立つのを感じた(そしてそれは私に「あるべき母の姿に外れて家族を捨てた母親を強く憎悪する」ギニアスが縋った「鋼鉄の子宮」アプサラスIIIを思い出させた)。
 これらの表現ゆえに俺は、「アニメ版は、確実に原典を咀嚼し、より鋭いものに変貌させた傑作である」と評価している。ぶっちゃけ最終回のシナリオ、演出は、『マイトガイン』『レイアース』に匹敵する俺評価殿堂入りクラス。向こう数年は俺評価の上位から落ちることはないだろう。




 一方、『ef』はストレートに映画的な美しさ。構図、カット割り、シーン間の移動や、OP・EDの常に暗示的な演出などは、あまりにも芸術的だった。ただ、それでも『School Days』ほどのインパクトは感じない。

おまえもか。

 「そのタイトルを冠していながらおまえも学区固定制を持ち上げるのか」と、呆れたというか馬鹿馬鹿しくなったというか失望したというか。先輩から借りた本に何を言ってるんだという気もするけどな。
 俺は「教育資本」という考え方*1そのものには同意するので、全体としては面白く読んでいるのだが、やはりどうしても俺はクソ教育者どもの不作為殺人に対しては熱くなる。


 俺にとって、学区固定制は「小学校でいじめの標的にされた生徒は、潤沢な資本をもって私立に脱出しない限り、高校卒業までいじめられ搾取の対象であり続けろ、さもなくば死ね」というに等しい階級固定大絶賛の愚かな制度であると言わざるを得ない。左派の連中は、大量の犠牲者を出しながら階層を打破したいのか、大量の犠牲者を出しながら階級を堅持したいのか一体どっちなのだ、という懐疑が拭えない。
 いじめ加害者の物理的暴力にも社会的暴力にも抗することができないなら、ひたすら被害を受け続けるか、強要された犯罪に手を染め続けるか、死という永遠の逃亡を果たすか、あるいは完全犯罪で復讐を遂げるかしか残されていないわけで、ゆえに学区固定論者とは、この一点だけは俺とは絶対に相容れない。「意図的で陰湿な虐殺者」相手にどこに妥協の余地があるというのか。


 それ以外は面白いし勉強になってるんだけどなあ。

*1:「子どものの教育及び経験に消費される資本」のこと。親の教育姿勢によってその総量は変動しうるが、上限はどうあがいても変わらないことに注意。神崎要『教育と法のオルタナティヴ』など。