過去からの来襲者

 「美少女ゲーム年代記」を巡回しつつふと思ったこと。


 昔『カオス・エンジェルズ』ってエロゲがありましてね……。
 私なんかは世間が既に誰彼やら月姫やらやってる頃にやりこんでたわけですが。


 これ、究極的にはループそのもので(半月単位でループする)、その閉鎖空間内で「定型」に従って行動する女の子(王子もモンスター化してるんだけど)は、最終的にはモンスターにならざるを得ない、ってことでもあるんじゃないかなと。
 つまり、二次元お約束通りのヒロインを徹底していくと、主人公を誘惑拘束する存在になるか、あるいは外敵を粉砕する存在になるしかないのか、ってことなんですけどね。なぜならそれしか許されてないから。ゴールドドラゴン到達したときはちょっと切なくなったっけ。


 で、一昨年くらいだったかな、こいつのボスになりかけて結局なりきれなかったらしい*1主人公がいて……。


 ふと、あの時代からロングパスを出されているような気がした。
 ……なんてこと考える前に崩しきれ私。

*1:途中で積んだ後パソが逝ったので放置したまんま……。

主体性を放棄した限界は……。

 書く書くと言いつつ全然書いてなかったこと。
 妙に忙しいので断片だけ。


・エロシーンから選択肢が消えてしまったこと。
 ……「手順」の消失。「相手」の「反応」に邪悪に笑う、あるいは悶える(?)という行為の消失(勝沼紳一と相沢真一郎)。「同じ反応しか無い」という定型化(同じ選択肢、フラグごとに複数用意される同一行為への反応テキストとその行き止まり)、ノベルへの傾斜と、「面倒くささ」への態度。 


・「充足」に対する受け身と、「限度」の非自覚。
 ……ゲーム側が定めてしまう「上限」(選択肢を規定回数選んでテキストが固定化してもまだ選ぶことはあるのか?)、届かなくてもプレイヤーが引く場合(PIL時代の調教ゲーなど)と、プレイヤーを置き去りに上限が低い場合(ハクオロ)。


○選択肢を「停滞」「障害」と認識するようになったこと(PC-98末期からWindows初期?
○ボイスによる名称の制約と主人公個性の確立に伴う、ゲーム主体からの離脱→AV化
○3Dゲームは逆行する存在となるか?

目の前の目標が無くなったこと。

 推薦入学や筋肉入学の相対的レベル低下や塾の台頭など高校受験の難易度が激変した頃と、中学レベルでのサ傾化と生徒の趣味への介入弾圧と、河野・村山時代ってのは連動しているような気がしてきた。追いまくられてきた高校受験競争がゆるみ、タガの外れた教師が政治活動に邁進するようになったのかと思わなくもない。時期があまりにはまりすぎてて、いじめやゆとり教育うんぬんは、教師が他にやることをおろそかにしてきた結果のような気もしてくるから陰謀論ってのはこまったものである。もちろんこれは一面でしかなくて、いじめは7割方親のしつけの問題だと私は考えている。