どこまで一貫できるのかねえ。

 世のはてサ諸氏にとって魔王と勇者のアレは自己責任論丸出しの不快なシロモノだそうである。俺とて法律屋の端くれなのであのどっかの未完ハゲ劣化済状態を彷彿とさせるものには好意的にはなれない。
 しかしそもそもラノベ(のような読み物)というのはその多くが停滞を批判し自発的コミットを描く構造を持つ以上多少自己責任論に傾斜しているものである。とはいえ強制的に押しつけられる責任と自発的にコミットするのは大きく異なる。
 『風の万里〜』は自虐を介してどうにも強制的に押しつけられてる状態に催眠洗脳(まるでどっかのウリストカルト教団である)されてるようにしか見えない典型事例で、当該作品についてどっかのヅカオタフェミは「自分の責任でもないのに」と強い不快感を示している。責任の有無をいうのであれば『〜恋歌』も『花守の竜〜』も「存在しない責任を問われる」不快なものといわねばなるまい。


 便利なお言葉だぜクソッタレ。


 そういえば、この世界には生まれによって放り込まれた境遇どころか生まれてもいない時代の事柄について責任を取れと強要される人々がいるそうだが。