Twitter書き散らし移植。

なんで最近のラノベが相対的に浅く見えるかというと、「引きこもってる時間が長い」からだと思う(あくまで読者発言)。

でもそれは80年代の「立派な大人になれ」という声に追い詰められていた中高生と同じ聖域構築であって、この手の聖域は「クララ舎」「緑林寮」「サークル棟」「生徒会」「SOS団」てな具合に時代問わず愛されているのも事実。要するにこの分野においては「近頃の若いもんは」と言うべきではない。

ただ、追い詰められていた頃の「それなりによい子ちゃん」の読者はほっといても勝手に自己責任感じて前向きになっていったのが、現在はその「よい子ちゃん」であるメリットが失墜してる分gdgdがちょい増しになってるだけなんじゃないの、と。それでも停滞・諦観批判は失ってないようだけど。

少女を侍らせたいのか少女になりたいのかと問えば、おそらくは後者なのだろう。少なくとも架空世界において彼女たちは「自由」であり「可能性に満ちている」。だからこそ暴き知りたがる。なぜ「女性」でなく「少女」なのかというのもむしろ同化願望にこそ元凶がある。

すなわち俺を含めて男というやつは「女性」は不自由で可能性を奪われた存在であるということを表向き逆差別だとか笑い飛ばしながらも肯定してはいる。しかし「架空少女」にはそれがあるのだから。

このあたりもさんざん書いてきた「追い詰められた少年」に結びつく話。そういう経緯をマルッと無視して「闘う少女のエロい姿を見たいだけ」と総括するどっかのフェミ系文学者には石を投げたいところである。

なぜ気弱な少年がヒロインの胸ばかり見てるのかって? 顔を直視できないからさ。ソースは矢神遼。って既出かw。

仏教においては極楽も地獄も絵によって教育される。従って当然どちらも二次元である。

つまり仏の列に並ぶことが二次元へのダイヴである! …どっかのPに怒られそうだ(笑)