ヴァーチャルな空間

 戦記モノにおける戦場と、ケータイ小説における繁華街の共通性。


 モデルグラフィック1月号のインタビュー記事で、長谷川勝人専務が「ぼくら世代の子どもにとって零戦はバーチャルなものだった」「今はアイマス機がそこにある」的なことを話していた。


 それと同じことが「ケータイ小説」にも言えるのではないかと思う。
 戦場という場のドラマ性にコミットしたくても出来なかった世代によってミリタリーカルチャーは発展した(日本マンガ学会大会2005のシンポジウムでの話だったはず)、バーチャルな戦場が形成されたのと同様に、盛り場のドラマにコミットできない世代によってバーチャルな盛り場と性愛が描かれている。それは、富島健夫や南英男らの時代のジュニア小説が描いた「逸脱を経て大人になる」ための空間とは根本的に質が違う空間である。
 むしろ、ホストとレイパーのいる新宿と、サキのいるエリア88と、タカのいる南方戦線は実のところ限りなく近い世界なのだ。