特別でなくても、変わらなくても肯定される場

 男性読者は『マリみて』以外のコバルトに浸透することはほとんど無かった。
 水樹奈々が主役を張り緑川や神谷や杉田がといった男性にも人気のあるキャストがいた『伯爵と妖精』すら、男性読者を引きつけることはなかった。


 なぜなら、男性読者にとって『マリみて』は、「コバルトにおいては特異な」ものだったからではないだろうか。
 『花物語』『クララ白書』時代の目から見れば、『マリア様がみてる』は少女小説の王道に見えても、現代のコバルトやビーンズの中では、特別な生まれなどの肩書きを持たない少女が、「彼女自身の(相手役男性のものではない)」素の個性・人格によって肯定されることそれ自体が希有なのである。


 男達が望むと望まざるとに関わらず追い立てられてきた「肩書きや属性で評価される世界」ではなく、金持ちでも貴族でも美女でもない「普通の少女」「素の少女」が肯定される(もちろんその肯定によって得た地位が校内ではぶっちぎりに高い地位であるという問題はあるが)場であるリリアン女学院は、少女達よりも非マッチョな男達にとって癒しの場だった。だから、「最初から特別だ」「実は特別だ」「相手のイケメンが特別だ」ばかりのコバルトのメインストリームには、男達は踏み込むことがなかった。今の姫嫁巫女でごてごてしたコバルトには近づくのも面倒なことだろう。


 「要するに『マリみて』は「神にも魔王にも凡人にもなれる祐巳」による日常系ギャルゲ世界なのである」というのが、杉田ボイスでツッコミを入れまくる祐巳という恐ろしいものを想像してしまった俺の妄想。