オタクのものなのは当たり前の話。

 ラノベにしてもコバルト系少女小説にしても、「あるべき少年」「あるべき少女」から外れた面々が居場所を求めた産物であるのだから、家父長制的あるいはマッチョ的共同性によって強要される選別レースに背を向けた・降りたゲリラたる、オタクが受容層なのは当たり前なのである。
 このあたりを論じるなら東や大塚といったオタ論よりも、むしろ藤本や中島をメインのベースにすべきなのではないだろうかと思う次第。