暗黙規範の強制力低下

 バブル崩壊、氷河期、震災等で「優等生であること」のメリットが少なくなったことと、ラノベの多様化と拡散は無縁じゃないと思う今日この頃。


 しかしその一方で「(その領域が認める暗黙の規範に置いて)優等生であること」と「自分であること」のせめぎ合いが未だに現存する(あるいは現存することが再確認された)ジャンルがある。少女小説レーベルである。一時の焼け野原的とも言うべき淘汰と再編成を越えてまたレーベル数の増加が発生していることは、その事実を補強しているように思われる。また、不況や労働市場の関係による専業主婦論などから、昔のような暗黙の規範にどう対するかという問いが浮上しているのも無関係ではないだろう。
 破妖が今になってあえて新装版を出したり(ダナークやアンゲルゼなどが次々と打ち切られている状況にも拘わらず)再開が許されているのもおそらくはその一片ではないかと思えてくる。暗黙の規範とは無関係な「自分が何者であるか」という問いよりも、「男に対してどうあるか」に関わる依存か自立かの境目の方が利益になるような状態なのではないだろうか。
 以前俺が書いたものの一節では、ラスは朱烙を否定したとき、少女小説のヒロインとしては「終わった」*1と考えていたのだが、ラスが完結するまでの間に、朱烙を含めての自分を「いかに肯定するか」ということを考慮していなかった点では猛省すべきところである。

*1:なお、高橋準『ファンタジージェンダー』(青弓社)における『破妖の剣』論は多少の難を差し引いても現状商業で刊行されているおそらく唯一の『破妖の剣』論であると思われる。