あー、そうか。

「思想という同じ顔をしたペテン師に仕えているからよ」
ブラックラグーン 8巻よりロベルタのセリフ)

 8巻のセリフでシャナのことを思い出した。


 そう考えれば、祭礼の蛇を筆頭に個の自由を重視する「仮装舞踏会(パル・マスケ)」にとっては、大義で徒をまとめ上げて目的のために邁進する「とむらいの鐘(トーテン・グロッケ)」も「革命団(リボルシオン)」も、積極的に支援するべき存在ではないわけだ。むしろいずれもが愚挙に過ぎない。


 しかし現状読めば読むほど、「自身が枠組みに疑問を感じるとともに、枠組みに所属するため無理をしている親友の顔面ひっぱたいて去っていった」大江夏樹と、坂井悠二が同じ道を歩むようにしか見えない。シャナとの対決も、夏樹と一条の対決にほぼ同義だろう。
 自分が消える際のことにも、「息子という存在が消えること」「親を親でなくしてしまう」への意識が強かったわけで、その結果「親」という存在を維持するもう一人の「息子」の登場によって枠組みからの離脱が可能になったと判断したのではないかと思う。