破壊者にして修復者

破壊者。古い価値観、威厳、制度に与する男性の家庭観をぶちこわす者たち。
修復者。虚無に突っ走った、既に前項とは真逆の方向にぶっ壊れている男性の家庭観を修復する者たち。


 破壊者にとっては破壊することは、自由や家の支配を筆頭とした直接の利益に繋がるだろうが、修復者にとって壊れてるヤツを修復することに、少なくとも家庭観を巡っては利益があるとは思えない。
 いずれにせよ都合のいい家庭観を押しつけるという意味では破壊も修復も同じなのだが、修復者にとって都合のいい家庭観って何なんだと。少なくともぶっ壊れてるヤツが自ら幻想に過ぎないと割り切っているような「あたたかいかてい」なんてのは修復者が新たな破壊者になることを推奨されるようなシロモノじゃないのか。
 ぶっ壊れてるヤツは義務と理性を越えたところについて基本不干渉なんだから、そのままにしておく方が、破壊者の最大の利益であるところの自由は最初から修復者にある。修復することで「家庭観」の射程に自分を入れてしまうことはむしろ不利益だろうに、それでも修復してしまうのである。再度破壊するような面倒なことをやるくらいなら最初から修復せずに靴下でも食わせておけばいいのに。
 そのくせなんだかんだいって修復者のロマンスは受ける。男女問わず。破壊者は女性メインで受けるのに対して。


 まあ結局のところ、破壊者が家庭レベルと個人レベルにおいてほぼ同じであるのに対して、家庭レベルの修復者と、個人レベルの修復者には大きな差異があるからなんだろうけどな。個人レベルでの修復必要性を考えれば、修復しない限りぶっ壊れたヤツが修復者に提供できるのは放置という名の「無関心」。一定以上の深度においては「愛の正反対」であるからして。


 余談だが、破壊者と女学校をファンタジーに変奏してるのがそろそろ20周年いきそうな前田のアレだけど、「破壊」したあとどうやって維持するかがストレートに現れていると思う。
 「命を握る」(剣)か、封印して行動の自由を握る(捕縛)か、精神を握る(魅了)か。つまり、物理的に危害を加えるか、経済的に危害を加える(財布を押さえる)か、精神に危害を加える(内心を支配する)かってこと。