ビルマの竪琴とエンタープライズ

 『日本児童文学』のバックナンバー漁ってたら、竹山道雄のエンプラ寄港支持にまつわる朝日の投書応酬と、「赤旗」への古田の寄稿が抜粋されていた。今ではあまり珍しくないが、当時としては強烈な「お花畑批判」「核アレルギー批判」であり、平和維持のためには覚悟が必要だときっぱり述べているのが興味深い。「ソ連・特亜の核はきれいな核」への痛烈な批判も加えられている。困ったことにその部分の大半を締めているのが感情論になっているので少し物足りない(この辺の記事を読んだあとで、別の号の1972年作品総括の対談を読むと温度差が面白かったりするがそれはさておきw)。


 当時の『日本児童文学』は、ベ戦関係の政治的記事はやたら多いし、戦地と空襲の間に強烈な断絶を抱える戦争児童文学*1の克服意志はやたら強いし、特撮・スーパーロボット全盛期へのザァマス系攻撃もきわめて盛んだ。
 しかし、時折飛び出すカウンターのような論説や、寄稿の冒頭に使用上のご注意のごとく置いてある立場の宣言などを見ると、さすがに創作者たるもの、したたかに体制(この場合編集部や重鎮)への反抗を綴る術には長けていなければならないのかと感慨深い。斎藤隆介論とかw。

*1:そのせいか、引き揚げネタも見あたらない。引き揚げの苦難とソ連兵・現地人の暴虐を目の当たりにした作家はいるにも関わらず、である。断絶を埋める試みとして後藤竜二の『紅玉』を挙げることはできるが、解説が政治色を強くしてしまっているのでパーになってるとしか言いようがない。