PJを殴ってきた(以下略

エスココスレあたりでも妙に騒がしいんだけども。

結局求められているのは
大義に殉ずる『戦争』」なのか、「『戦時国際法』の遵守」なのか、「『戦争』反対」なのか、どうもわからんな。

「『戦争』反対」と見るには、まだコミットすることに希望を残しているようにも見える。大義に殉ずる『戦争』」と見るには、「そんなものは存在しない」とあまりに突き放している。「『戦時国際法』の遵守」と見ればいいのかというと、それは「大義ある『戦争』」よりもナンセンスに満ちていることは「戦場」帰りの諸氏が語るとおりであるし、通称破壊戦、兵站破壊戦じみた非「消費」の戦術が「戦時国際法」に適っているかという疑問も発生する。国際法自体が勝者の理論であることを考えれば、戦時国際法などいくらでもねじ曲げられるモノであり、逆に迷彩塗装や装甲板貼り付けた人々からすれば非コミットを建前とする人々は便衣兵のようでもある。
どっちにしろ地獄しかねえよと考えていても、そこに向かうのは本人の意思。人格ごと否定しようとは思わない。でもまだ向かおうとしているように見えてしまうからわからないだけで。
あ、もちろん「戦争」はいつものように読替で。



で、まったく話は変わるが。
なんとなく、「紺碧」や「青き波濤」の名前出演のムーブメントって、なーんかネタにできないかなあと思いつつ。紺碧艦隊歌できたあたりから3割くらい読参になってたように思うんだよな。末期は字数がほとんど読者名だったし。
あの頃って、「(現在の)ラノベ的なモノ」を支えていた年齢層が違ったように思うのね。「紺碧」「旭日」は、ラノベ直系のはずであるジュニア小説やジュブナイル小説よりも遥かに今のラノベや二次元文化に近いと思うし、初期コバルトに書いていた喜多嶋、富島、赤羽といった系譜と、若木、前田以後で祖先を異にしているような気さえしてくる*1。前者と後者はちょうど数学で使う手書きのエックスのように流れていて、でも時系列は左の画をスタートに交点で右の画へ移ったような感じ。当時の面々がもう居ないのは、もともと別の流れに属するモノだったからであって、それに続く者とならずに長々居座ってるのは、そもそも違うモノだったからではないかと。
とはいえ、考えては見たものの、なんか排他的な見方で自分でもあんまり納得できないけどなあ……。

*1:氷室、久美はむしろ前者かと。