俺にとっては当たり。

http://www.so-net.ne.jp/e-novels/hyoron/genkai/021.html

私には、新しい伝奇小説の読者の多くにとって、それは自己を投影する場であるというよりも、ある種の「鑑賞」の対象であるように思われる。

おそらく、かなりの部分正解。
でもそれって現在、ポストセカイ系に特有のことかなと思う。


ミリオタ併発組にとってはそれは別に珍しいことではないんじゃないかなと。
それぞれのユニットが与えられたロールに対してどう動くかというのはやはり面白い。
突き詰めればそれはウィザードリィ大戦略


それをさておいても、鑑賞の対象としてのキャラって「今」どうこうっていう話ではないような気がする。
少なくとも我々は大量のキャラがぼかすかと殴りあう作品を誰に傾倒することもなく読むことを、十数年前から知っていたはずである(まあ時には傾倒した結果全10巻なのに全8巻説や全2巻説になったりするけど(笑)!)。一貫した司令官不在の現場主義的な火葬戦記もそんなかんじ。