印象操作のためなら慣例をも踏みつける。

 テレビの報道にしても、新聞報道にしても、珍しく本名で報道しているからといってやや過熱ぎみの状況に対し、字面に騙されてはならないとひとつだけ水を差してみる。


 ちょっと古い話だが、「崔昌華」という名前を知っているだろうか。NHKに名前を日本語読みされたと謝罪と賠償を求めた、いわゆるサイショウカ事件の原告である。以来、朝鮮については各局朝鮮読みを慣行としていることは、特亜にそこそこアンテナ張ってる人ならご存じの通り。別に俺はこの崔昌華氏を非難するつもりは「ここではあまりない*1」のだが、とりあえずこれはマクラなので頭の片隅に置いておいてほしい。


 翻って、今回の誘拐事件報道を見るに、一部の局(というか今日の昼前にやってたTV番組「きょう発」なんだが)は、今回の容疑者である「崔基浩」について「さい・きこう」と発音し、字幕にふりがなまで付けていた。この事例が示す、慣行との不一致と、読み方に対する沈黙は、姑息な印象操作と認識するに十分な理由だと考えるがいかに。名前に対する反日行為の多重基準こそが嫌悪の元凶のひとつとなっていることをも知らないわけじゃないだろうに、なぜまだこういうことやるかね。原則を原則として尊重できないのは明らかに欠点だろうに。


 TV局に対する圧力がサイショウカ以来の慣行を曲げてしまったのであればそれはそれで笑える話だし、ここで容疑者がサイショウカ事件ならぬサイキコウ訴訟でも起こせばジョークスレからありったけの武器を持ってくるしかないがw。

;y=ー(・_・)ドキドキ

*1:カネに結びつけたことは気に入らないが名前をいい加減に扱われることへの反感はわからないでもないので。