こっぱずかしさの代行

 突発的に綺堂さんに癒されたくなってとらハ1なんぞ放り込んでみる。
 昔のエロゲってこんなに選択肢多かったんだなあと感慨深いと同時に、その選択肢がもたらす同化と恥ずかしさの喚起が持つ意味って大きかったんだなあと思う。「恥ずかしい選択肢」を選ばせることによって、その恥ずかしさと相手の反応の効果を「選んだ主体」に帰属させるというシステムの利点というか。とらハの破壊的なところはヒロインの「攻撃性」のみならず、システム上プレイヤーに「防戦」「反撃」の主体であることを要求するところでもあるんだなあと思った。今さら何考えてんだ俺。
 行為も恥ずかしさも迷いもプレイヤーではなく主人公がかぶる、ノベルタイプや選択肢の少ないシナリオではこの「こっぱずかしさ」も微笑ましく見る対象になってしまうような気がする。TH2の愛佳ルートとか、思い切り恥ずかしがってるんだけどヒトゴトとして笑ってしまう。
 私はシステム的にもオールドタイプになってしまったのかなあと思わなくもない。


 辛うじて三角関数覚えていたことに安心した日の翌朝。