メイドロボの造型。

ちょびっツ』読みながら、個人化・孤立化への批判が90年代後半から2000年頃への流れだと言うことを感じる。


架空・人工存在への耽溺の極地として描かれるのが「クロノアイズグランサー」の「コミケ破壊指令」。非人間的・二次元顔の造型を科されたが故に人間への潜伏も抵抗もできないメイドロボのかたちをとってそれは表出する*1
しかし「グランサー」では需要から非人間的なスタイルを取る一方、「FSS」は造型が人間的でありすぎることを危険視して新型スーツへ移行する。「ちょびっツ」「ToHeart」では耳という存在が人工の少女を人間から遠ざける。
人工の存在を、形においてすら人間へ踏み出させないのははたして需要側の理屈なのか? それとも拒絶側の理屈なのか? どちらからも「ヒト」であることを拒絶される存在ならば人間の外見というスペース的にもコスト的にも無駄の多いものを得る必要はなく、AI内臓自動家具、さもなくば先行者スタイルで十分ではないかw。


ま、結局のところ乗り物搭載型人工知能くらいがベストじゃないかなと思う俺。イヴとかK.I.T.T.とかハリーとか。家具まで来ると視線感じてダメだと思うしw。

*1:『オタクの遺伝子』の稲葉教授は架空存在に転ぶヲタクとその正当化への懐疑としてこのエピソードを挙げている。