俺たちは何を恐れてるんだ?

リング参加記念。一発目くらいまとまったもの書けよ私。
とりあえず以下のエントリとの関連になるのかな。

http://d.hatena.ne.jp/Kadzuki/20060411#p1
いろいろ書くつもりだったんだけど

このところ、ヒロインの内面描写に関する議論がいくつかあって、私自身の本業にもよい刺激になったりで非常に感謝している。その流れから。


関連エントリに引っ張り出してきたことからもわかるように、例によって「『愛→性』の断絶」が今回もキーワードとなる。別にこれは「喪え」の文脈にする気はないのだが、嫌いな人はスルーで。

さて、「断絶」をここで持ち出したのは、ヒロインの内面を求めることは必ずしも「支配」の文脈に位置するものではないのではないか、という仮説の上の話である。もちろん、彼女の中まで知りたい、すべてを自分の物にしたい、そういう感情を持つことを否定するわけではないが、私はむしろそんな「攻め」の動機よりは「守り」の動機じゃないかと思うのである。


第一説。
早い話が不安なんじゃないのか?ってこと。
「断絶」については過去エントリ見てもらうとして、この「断絶」というやつが「愛」の存在を外形的に表示しなくなってしまった。
ドラマ等も含む仮想空間において「断絶」が発生する前、性は愛の果てにあるものであり、性へと至ったことは愛が存在することをほぼイコールで証明していた。ところが今じゃ、性は愛ではなく実利とも結びついており、性という手札は必ずしも愛を証明するために切られるものでは無くなってしまった。
さて、従来、この「愛」が存在することを言葉にしろ、外形的に表明しろ、というのは現実においても架空世界においても、もっぱら男性が要求されてきたことではなかったか。根本的なところで絶対に自分のそばにいるはずの相手なのに、形にされない、常にそばにいないからと不安に駆り立てられるヒロインは少女メディアの世界では常道である。で、そういう男どもにとって性は必ずしも愛の帰結ではなくまったくの実利や手札である疑いがつきまとう。だから言葉や品物といった外形的で「確実」な(と思われる)ものを要求する。すなわち内面の外形的表出による「性」の裏付けは、性と愛が断絶「できる」存在に対する要求のひとつだったわけである。
そして、従来女性に課されていた強度の貞操観念が形骸化した現在、断絶「できる」のはイケメソの専売特許ではなくなってしまった。仮に愛の果てに性へと至ったつもりでも、それが片面的でないとどうして言えよう。
この不安はいつの間にか二次元にさえ波及してしまう……のか?
性的な交わりを経て深い関係になったというエロゲ的な「様式」さえ、その根拠が「愛」であることを明文化させたいという欲求がそこにある? しかもヒロイン自身の「言葉」(可聴音声)ではなく、「嘘を存在させない」方法で。そして、エロゲというメディアではヒロインの内面描写や一人称によって、それは可能とすることができる。ヒロインは打算で主人公と結ばれたわけでもなければ自虐や勢いで結ばれてそれを後悔しているわけでもない……その証明を求めるが故に、エピローグ等でのモノローグを求める。
現実の侵蝕やトラウマは架空世界にこのような変革をもたらすほど深刻なのである?
いや無理あるだろこの仮説。?だらけだしw。



第二説。これは前段落とも関わる説ではあるが、市場の要請とかいろいろあるだろうから前説以上に無理がある。
しかしいくら現実が嘘大げさ紛らわしいのドスケベー氾濫状態だからって本来架空世界にあんまり関係ないってのは考えるまでもない。いくらプレイヤー自身が現実受けて不安だからって、二次元ヒロインにそんな証明を求めて何になる。そもそも主人公にとって内面描写って必要なのか。
ヒロインはシナリオの間ずっと主人公のことを考えていたように描かれているし、セリフでもフルボイスでそう言っているじゃないか。悩みに悩んだ顔色で、真っ赤になりながら、内心を打ち明けたじゃないか。
関連エントリの「断絶」と並ぶキーワード「置き去り」がここで顔を出すように思う。ヒロインは本当に主人公を愛していて、且つそう「主人公に」見えるように描写されただろうか。一歩譲って、主人公にとってはわからなくてもプレイヤーにはフラグが見えることもある。けれど、それでも証明が欲しいというのは、元のシナリオや描写自体に問題があるのではないか。ヒロインが主人公に惹かれる過程、実利ではないということの断片、さらには主人公がその「不安」を払拭するほどの想いと攻勢、プレイヤーにはバレバレな好意……それらははたして内面描写によってのみしか表現できないものだろうか?
もちろん、創作側に立つ人間の大多数は「否!」と声を上げたいはずだ。
でも、じわじわ進む恋愛の過程を一気に端折れるというのは市場の要請からは魅力かもしれない。そんな視点から見れば、モノローグによる「愛」の証明は確かに便利だ。
けれど、それに頼っていていいのか……そんなことも考えてしまう。私は業界内部の人間じゃないから、そのさじ加減はわからないけれど、安易かなとも思うわけで。。


『でも、外面では完璧な女を演じる人もいるわよね?』
「ようこそ***様。で、最後に自分からしゃべるまで愛を演じ続けたり?」
『そういうこと。そういう場合を考えると、外面だけの描写じゃやっぱり不安でしょう?』


「不安説」と「描写の都合説」。
いずれの場合にしても、筋金入りの邪悪ヒロインにとっては何の意味もない二分説。モノローグが先行したら基本的に邪悪ヒロインじゃなくなってしまうもんね。