マジとカーニヴァルの境界

マジに政治活動する層と、カーニヴァルの勢いに乗っている層との分離が試みられてしばらく経った。もちろんその中間には意識はマジだけどコミットの形態としてはぬるい……いわば募金の結果赤い羽根を付けているような層も存在する。この層をどちらとも捉えることができていないのが現在の分析の問題点のひとつであるようにも思えるが、改めて考えれば、これら3つの層を別のものと捉えることは「いつまで」可能なのかという疑念は生じる。
というのも、旧来小規模ながらもマジ層の独占状態だった言論空間は、今やカーニヴァル層にも中間層にも等価値に開かれているのだから。わざわざ、めんどくさい編集作業をして、印刷機回して、路上やキャンパスで撒いて、なんて極度のマジ(もちろんこれは創作においてもいえることだが)でもなかったらやってられない手間を、webは必要としない。webという原則的に*1google先生にとって横並びの世界ではどの層からスマッシュヒットが出るかなんてわからない。どこで捕捉され一気に伝播するかもわからない。
ゲーム制作等で語られるツールやフリソフによるプロシューマー化とも似ているのかもしれない。


もっとも私の思いつきに過ぎないが。

*1:圧力によるぐーぐる八分の例もあるがそれは除くとしてもだ。