世界の中心で刃物刃物と叫ぶ

オタクの思考と少年マンガ
http://d.hatena.ne.jp/./Hayashida/20060103/1136261605

関連:「自分が世界の中心」
http://d.hatena.ne.jp/./NaokiTakahashi/20060104#p1

ともにモノーキーさんより。いつもアンテナがリファにかかってくる冬みかんさんが別館だと私もつい最近知ったw。


主観客観なんて区別ははっきり言って無意味かなとも思う。
突き詰めれば全てが主観で、どのキャラに主観を重ねるか、というだけの差異しかない……というのは極論にしても、作品によると思うんだよな、主観が楽しいか客観が楽しいかは。
現在発売中のものだけ見ても、性的行為の対象であり「ヲタク主観説」では客体に過ぎない女性キャラの一人称として制作されたエロゲはけっして少なくない*1ばかりか、遡ると美穂だの亜希子だのF社レッドゾーンの名前シリーズなんか全部女性一人称である。これを主観でなんてのはちょっと苦しい*2。ましてや「堕落の国のアンジー*3なんか男女どっちでも主観でやるのはお断りだ!w
女性が客観だってのは偏見というかどぎついバイアス。「遙かなる時空の中で」なんかひくまでもなく「花より男子」も「ふしぎ遊戯*4も女性が主観乗せて愉しむ妄想ハーレム構造でしかない。昼メロも半島ドラマもな*5。「応援してあげたい」なんて思考が主流だったのはせいぜい、少女漫画が「恋に恋する世代」のものだった頃までだろう。主人公ないしヒロインと主観が(実感として)共有できる年齢になった瞬間、客観なる視点はきわめて危うくなる。受け手が当事者性を持ってしまえば客観なんて脆いものなんだから。結果、主人公や(女性の場合特に)相手役ヒロインに共感できない(少女漫画板の双璧、ダブルバカスミ*6なんかその典型)時点でダメ作品のレッテルでサヨウナラ。まだ修羅スキーの方がつきあいいいんじゃね?w あー、勧善懲悪化する前の「死神アリス」は主観でなければ楽しめなかったなあw*7。プロフィール見る限りその辺のことくらい分かってるはずだと思うんだけどなあ……。イカレタ思春期送った俺じゃないんだから、少女文化慣れの反動で男性文化否定なんてこともないはずなのに……なんか違和感残る。


……とまあ、俺は悲恋・修羅スキーなんて属性持ってると同時に801板にも常駐してる腐男ヲタ。エロゲやる際に主人公に乗って主観で愉しむなんてこととはかなり縁遠い部類にある。だって殺されてしまうんだから(笑)。(客観話者視点にしか見えないはずの)主人公を哀れみ泥棒猫を笑い、しかし一方で桂言葉に主観を重ね、佐々井夕奈に主観を重ね、主人公と泥棒猫を思い切り痛めつけ思い切り罵り思い切りぶち殺すだけ。
そういうわけなんで主観客観わける必要性ってあんまり感じない。
もっとも、(特定層に対する)主観を招き入れるためのバックドア回路をまったく持たないことで拡大した作品が、その回路を持ってしまった瞬間ダレたという例もあるんだけどね…。だから年末に出た新刊まだ買ってない。




http://elrond.art.bne.jp/d/#d03-1
(REVの日記さんより)
・というわけで、現在のぎゃるげとの嗜好の剥離を突き詰めるに、昔からのハーレム系の否定に端を発するのではないかと。(アニメ見てた時代の)天地無用あたりから既に否定してたんだが、時代はそっちに進んでるのだな。

OK、俺たちの時代だ。
……なんてことが去年あたりから囁かれてる修羅スレ邪悪スレ。行き過ぎて飽和するのがちょっと怖いけど。

*1:「クライミライ1〜3」、「自慰倒錯」、ギルティNの綺羅原作シリーズ、の一部など……しかも陵辱系多いしw。

*2:語られない男性側のテキストを完全脳内保管できるなら別だがw

*3:ついでにとんちんかん」や「天才ドンベ」、「頑丈人間スパルタカス」、果ては「トイレット博士」系のシモネタ下品ギャグに耐性がある人は爆笑できるがそれ以外の人にはとてもオススメできない田所作品。

*4:俺なんかは唯の方が好きだったけどなーw。

*5:浅田次郎『プリズンホテル』における、元重役夫婦の木戸作品に関する内心描写みたいなものだw。

*6:柊あおい作品と某北川みゆき作品の二人の主人公女性のこと。嫌いなヒロインスレ等では渡瀬の色情狂ヒロインをしのぐぶっちぎりの並走。特に前者は当事者性がなかった頃は支持できていたけれど当事者になってみると全く支持できないと言う模範例。

*7:主観で楽しむ方が間違いですこの場合。