消費しなければヲタではない?

H先輩によれば、ヲタというものは消費することによって成立するものだという認識があるらしい。
そんな簡単なわけないじゃないですかアハハ。
別に可処分所得がついていかなくなっても、自覚的に撤退しようとしない限りヲタはヲタですから。
ヲタとしての「参加」に差し障りのないグッズ類の出費が占める割合ってのは結構多いので、これを削り、またメディアミックスの進行する現在では本典にあたらずして情報をつかむことも難しくない。たとえば1万弱のエロゲーの内容把握もノベライズやアニメ化で安く抑えることができる、という具合に(まあWin機持ってなかった頃の私はさんざんパラダイム出版ムービックのお世話になったわけだがw)。
そういうわけなんで可処分所得が少なければそれなりについていく手段があるというのが私の答え。


以下は余談だが、だからこそ余計に(現在の)ヲタは、経済学的にも社会学的にも分類しにくい、本体のつかみにくい存在なんだろうなと思う。
どっと消費する層と、ささやかに二次創作や妄想・考察で止める層が混在しているんだから。
そうでなければどちらかといえばリベラルでアナーキー*1なヲタと、ファシズムを結びつけようなんて荒唐無稽な連中は出てこないと思う。不必要な規制だの弾圧だの恨みを買うようなことをさんざんしておきながら、自分たちは正義の抵抗する側だと思いこんでる、抵抗されることに慣れてないアホどもが逆ギレして「自分たちに都合の悪い敵対者に貼る」レッテル貼りは見苦しいというのが俺の持論。
さらにいえば、「ヲタ=負け組」的発想は当初から破綻している。Nゲージにせよ、ボトルシップにせよ、金のかかる趣味は本来的に「地位と名誉あるオッサンの趣味」として位置づけられてきたんだから。消費拡大によって動く金額が勝ち組オッサンたちと同等のところまで来てしまった(工具や初期投資*2を別にすれば、Nゲージの車両セットと、フィギュア一体の金額はほぼ同等、PGガンプラはさらにその上を行く)わけで、嗜好に対して同じ消費規模の人間を勝ち負けで分類することは出来るはずがないのだが。
時には消費規模で持ち上げ、時には見た目で貶める。おかしな話だ。

*1:ソフ倫とか対ゲーム規制論者とかww。

*2:もっとも、Nゲージの場合Space/Money/Timeという三条件を必要とするわけで、特にSpaceに関しては勝ち負けが出る部分がないわけでもないw。