移動中ってやつは
時間だけが流れていくわけで、かといって騒音にあふれた電車内で真面目な本など読めるわけもなく、結果として衝動借りした本を流し読みというスタイルになる。
- 作者: 高原英理
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2004/09/14
- メディア: 単行本
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ゴシックとロックを近しいものと位置付け、アンチ文化のひとつとして紹介していく手法はなかなか面白い。
だから、明日は今日より幸せであるとか、人間精神は改良できるとか、人は平等であるとか、努力すれば必ず報われるといった言葉を信じられなくなったとき、すなわち近代的民主的価値観が力を失ったとき、ゴシックはその魅力を発揮する。
〜(中略)〜
そして実のところ、現実社会という「誰かのための制度」を憎み、飽くまでも孤立したまま偏奇な個であろうとするゴシックはそういったクズな世界での抵抗の一つなのである。
現実を支配するプラカードでしかないスローガンやタテマエを「そんなものでは救われる弱者なんかいねえよ」と切って捨て、人工的で奇妙で残酷で刹那的で、だがしかし常に美しいものへの傾倒していく姿を「ああなるほど」とゴシックとしてそのまま認識すると隣室のお姉様あたりから壮絶なツッコミを受けそうだが、なぜか妙に納得してしまう。
というのも、葉鍵系の純愛・ハッピーエンドだの、半端に決着して先のことなんか考えていないハーレムエンド、「主人公という誰かのための制度」に離反し、狂気とギリギリの想いと残酷で真摯な行動に共感を覚えて止まらない「嫉妬属性寄りの邪悪属性」*1をこよなく愛する面々ってある意味ゴシックなんじゃないかと思えてくるからだ。特に「スカッとナイフで切る」系の妄想に「ヤッチマイナー!」と応じたり、主人公を食ってしまうことが究極の一体化だと嘯くタイプの邪悪属性持ち。まあ実際には多くが澁澤読者や「サスペリア」などのゴシックホラー系レディコミ経験を持ってたりするのでゴシックなのは当たり前なんだが、三次元のタテマエを拒絶して二次元にいるとされているなのに、さらに二次元のタテマエさえ物語の構造、様式美として捉え、さらにはその影に隠された思惑とプロセスと心理*2さえ引き裂くところまで進んでしまう姿は、二次元世界さえ予定調和の産物として抵抗してしまうようにさえ見える*3。
もちろん、感情の激発を伴う残虐行為という点で、前掲書が引く、淡々と事実のみで展開される様式美を持つ「残酷」の項目とは一線を画する点は異なる*4。しかしその反面、一人称というメディアの不文律的制約の中、淡々と事実のみで展開されるようになったら主人公は「完全に終わっている」ことが九分九厘間違いない*5のであり、そこまで追い込んで初めて二次元世界における抵抗としてのゴシックといえるのかもしれないが。
そういうわけで妙に納得できてしまった、対主人公対恋敵ドS系邪悪属性持ちの感想。
余談だが、この本、側面から見ると十字になるよう、ページ端に黒が入れてある。