帰り道が消える夜。

掃除中にマジキューのバックナンバー開いて、『らぶドル』見ながら「西又絵、足太いなあ」と笑っていたところ、ふと我に返ってしまった。
最近ますます二次元審美眼の超音速戦闘機・高速戦艦スタイル志向に磨きがかかってるような気がする。
このところ菊池政治や鈴平ひろの絵に浸かりすぎたせいかな……。


もともと審美眼が兵器と同じ目線しか持って無かったとか言われると否定できないし、事実某スレでは哺乳類失格とまで言われたこともあるわけだが、それはそれとして、いったん内部の美的感覚に対するスケール、比率や色彩の基本となる「原器」が確定し、あるいは狂ってしまうと戻らないものだということを痛感する。
自動車でいえば80年代末〜90年代初頭に完全固定した「原器」は今のデザインに全く共感できないし、月光型で固定した特急車両に対する感覚は現在のJR東日本をまったく許容できない。まだ機械であれば機能的帰結として極端に「原器」から外れることは少ないけれど、二次元の変遷はそういう帰結を全く持たないわけで。困ったものである。