一日目かい!(身内向けスマソ)
対修論中間発表の日程が流されてくる。
軸さえふらついているのに章立てなんか決まっているわけがないだろうゲラゲラ。
というか何が怖いって、N先生、S先生による文学方向・サブカル方向からのツッコミは言うに及ばずなんだが、お隣の生命倫理方向からのツッコミにガクガクブルブル。扱うジャンルがジャンルだけに、「生命」というのはガジェット的にも読者層的にもきわめてシビアな問題だから。
折しも年代がずれるとはいえ、O先生が漫画に関する情報収集をしており、K先生は某映画の本にコラム書いており、その中での生命の扱われ方については一家言ありそうな人たちばかりだからだ。主要目標である麻生の『ミュートスノート戦記』は生命の価値付けを(もしかしたら得るもののない、空虚な)競争社会批判へと向けたと考えられる作品だが、この麻由子やDCを取り巻くエピソードだけでとんでもない量の生命倫理に関する論点に発展しかねない。
O先生から流されてきた情報収集について、いろいろと手元のラノベを見てみたが、やっぱり安楽死尊厳死に直結するよりは、現実社会と読者層の不安の投影として、「他者の価値を低く扱うこと」「部品として扱われる」ことや「一部の犠牲によって維持されるもの」に対する意識が実に敏感に描かれているものが多いということ。
先日新刊の出た『ウィザーズ・ブレイン (電撃文庫)』シリーズでは、ポストカタストロフの世界でなんとか生活を行う限定空間「シティ」を維持するため、優れた「魔法士」*1を「マザーコア」としてその脳組織を利用しようとする。そしてそれは一部の「シティ」にそのために使われるクローンの量産を引き起こす。シティとマザーコアを巡る悲劇を中心にメンバーを変えながら物語は現在5上まで刊行中。
しかし一方でシリーズを通して展開されるのは、葉鍵的とも言われる*2「家族の物語」だったりする。
もっとも、この対置に対する考えを書くには、私の中でまだまとまっていない。完結するまで安心できないと言うのもあるけどな……。