ちょっと待てコラ。

レンタルマギカ 魔法使いVS錬金術師! (角川スニーカー文庫)

レンタルマギカ 魔法使いVS錬金術師! (角川スニーカー文庫)

友人Iから回ってきたので読んでみた。
が。

…2巻じゃねえか……。


近世戯作文学とも共通する要素である「前提知識の共有」の近時最たるものがファンタジーの隆盛に伴う魔術錬金術的要素だと思う。
それが可能となった現在には、序盤中盤で登場する断片的要素から知識データベースを攫い本性を見極めようとすること、すなわち文学用語で言うところの「黙約」「趣向」を見抜き、それに対する主人公の行動を見守る楽しみが娯楽の一環として確立されてしまった。
たとえば「邪眼」というフレーズ一つあれば、その本性について読者はデータベースからバジリスクカトブレパスコカトリス、ゴルゴンといった事象を弾き出し、主人公がそれにいかなる対策を取るかを楽しむ。推理小説と同様の、予想する楽しみがそこにある。


一方で、データを利用してイメージの喚起を行うのが、笹本に始まる手法である。「スーパーシルフ」のひとことで得体の知れないとんでもなく高性能の戦闘機を連想させる。また、物体に限らず、その状況までも引用・喚起してしまうのがそこからの流れだろう。「あんなもの飾りです!」といえば無用のものに対するこだわりを冷笑する意見をひとことで表現できてしまうし、「ヤケになった人間が何をするか見てろ!」や「**が七分に〜〜が三分」といえばやけくそや絶望がひとことで片付く。古くは『太平記』が「射るまでもない斬りかかれ」と『平家物語』を見立てとして使用した*1ように、イメージ喚起の手法は読者との知識共有さえあれば実に便利なシロモノである。
東のいう「動物化」世代の「データベース」はより細分化された要素に対するものを指しているようだが、実のところ我々のような読者にとっては物語構成も既にデータベースに他ならない。『動物化〜』刊行の時期には既にテンプレート的ともいえるドラマが量産されていたにもかかわらず、これを明確にしなかったのははたして、と邪推したくもなるわけだが……。


余談であるが「魔術決闘」なる用語に自動的に運命のタロット〈1〉「魔法使い」にお願い? (講談社X文庫―ティーンズハート)以下一連のシリーズ思い出したのは言うまでも無かったり。

*1:実はうろ覚え……。二度駆けや直義の処遇は見立てであることが明確になっているようだが。