人身御供

とりあえず
http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/14298193.html
を一通り読んでもらいたい。

言うまでもないがひでえ話。

まあ相手が朝鮮人だけあって(たしかに斜め上な連中ではあるが)過剰にヒートアップしている側面はある。


しかしこれ、日本人でも珍しいものじゃねえだろう?というのが私の感想。
日本人間でこういう事例が出たときこれほどヒートアップして擁護レスがつくか、という点が疑問に見えてくる。

会社であれ親族であれ圧力に差異はあっても、きわめて古典的な「物語素材」である「道具としての女性」は普遍的現実であるからこそ、飽きもされずに「物語素材」、「データベース」として通用している。そしてその圧力源に対する負い目からそれを受け入れる女性を美しいものとして「ヒロイン化」してしまう傾向も健在である*1
ところが、自称「歪んだ」エロゲヲタであるところの私は、自分が娯楽において良くも悪くも男性主義的世界の中にいることを自覚していると同時に、少女漫画と勇者シリーズエルドランシリーズで道を踏み外した経緯もあって女性キャラの視角に偏っている。ゆえに前述のような「悲劇のヒロイン化」を女性サイドが行うことに違和感を禁じ得ない。自らにも降りかかり得た、拒絶してしかるべき状況のどこが「美しい」のか私にはまったく理解できない。比較して幸福な自分に酔っているのか、悲劇的な状況そのものに憧れているのか……女性の市場化*2や性の支配を否定することを叫ぶ一方で、こういった古典的要素に群がる女性が存在すること、私にはそれ自体が不可解である。
小谷野敦「ファンタジー君主制を志向する」(『大航海』より)ではないが、支配構造を肯定し、それに甘える・酔うことをよしとしている風潮*3ある限り、どうにもならんだろう。


※なお、私は「フェミニズム」について「ユニバーサルデザイン」的な社会構築のための女性視点思考という前提を持っている。「ユニバーサル」たりえない一方的な利権要求は単なるファシズムである。

*1:このへんは『おとボク』記述でも書いていきたい。

*2:毒男からすれば自由恋愛という概念そのものが「市場」に他ならない。

*3:甲斐性などの概念や、収入依存による大規模消費生活など。