芸術表象と人間感覚

 昨日借りてきた「表象論史」レポート用資料。
 家族にさえ誇れない、軍事版「プロジェクトX」。

ステルス戦闘機―スカンク・ワークスの秘密

ステルス戦闘機―スカンク・ワークスの秘密

 なぜこの本が「表象論史」レポート用なのかといえば、飛行機の持つ、合理性と美的感覚の極限的融合の境地が個人的好奇心から面白いと感じたから。


 F-117Aは「人間感覚」という面において度を外れた表象を持つ飛行機である、と私は考えている。
 飛行機というものが持つ人間的シルエット。同時に鳥や魚と重なる風防周辺の造形。空を目指し、鳥を前提とした姿であるが故に、飛行機の造形は生物の基本原則に従わざるを得ない性格がある。人間が飛行機(特に軍用機)について美的感覚を適用する場合には、人間に対するものに近いそれを用いることが珍しくない。
 F-117A、B-2といった機体は、その特異性に美を認めることができる一方で、独立した明確な機首が存在せず、生物的シルエットを持たない故の「拒絶感」を背負っていると私は考える(もっとも、B-29の昆虫複眼的機首と同じく、「爆撃機ゆえの嫌悪感」が作用していることも否定できない)。「最後の有人飛行機」と呼ばれたF-104に対しては抱かれなかった拒絶感、嫌悪感の正体こそ、非生物的シルエットという、人間が人間として普遍的に持つ美的感覚のひとつなのではないかと思うのである。

 もちろんこれは鉄道車両にも言える。なぜ民営化して久しいJRにおいて、いまだ「国鉄型」の急行型・近郊型電車や、月光型と呼ばれる特急列車に人気が高いのかということについても、正面の「人間性」はひとつの答といえるだろう。
 艦船になるともう少し複雑になる。艦橋構造物、前後バランス、砲塔配置といった美的要素は人間的シルエットというよりはある種の「黄金比」的な比率の美学が作用するからだ。飛行機を含め、旋回・凌波性等の事情から導かれるはずの「比率」が美に結びついていることを考えるに、人間感覚において合理性と美学は本能的なところで融合しているのではないかと思わずにいられない。


 …と、レポートはこの辺を引き延ばすとしますか……。