いろいろあって不安定

 ここより下の今日の更新は完全に愚痴。キーワードで飛んできた人はご愁傷様。

以下私的愚痴につき省略。
ほんとに。

 ごめん、ちょっと吐き出したい。
 N氏界隈やS氏あたりからは叱咤されそうだが勘弁。


 私が当面の研究対象とした麻生俊平作品は一言で言って相互理解の物語である。

 まあ私が研究対象としてこの方向性を決めたときにはいろいろと事件もあったし、『ノーブルグレイ〜』や『フェアリースノウ〜』がマジにシャレになってないと感じたからでもある。

 現在、考えることを細々と書くのはできるかもしれない。しかし裏付けるような下地が、残念ながら私の中のどこにもない。せいぜい大塚の文庫新書か、ル=グウィンの『夜の言葉』、最近読んでる藤本本くらいしかない。

 で、来週の発表じゃ「結局何を言いたいの」「この研究で何が見えてくるの」でボコボコにされてにっちもさっちもいかなくなるんだろうな。「見えてくる」じゃねえよいい加減見ようとしろよ目の前にヤバイ事例転がりまくっててまだそれ言うかよ、とは言えるわけもなく。
 先の見えない社会、読者層である中高生から20代前半までの抱える問題は深刻だ。なかでも対人関係における問題の柱は「(ときには一方的な)理解要求」と「他者拒絶」だと思っている私にとって、ティーンズ小説ほどストレートに問題を映しているものはない。レーベル縛りで「オタクの読むもの」(こう言ったのは私が方向性を決めたときの発表の場にいた同領域の院生だった……何が「共生」だよゲラ)、「犯罪の原因」と決めつけてしまい、「小説として」見ようとしてこなかったのは大人達に他ならない。だったらそこをつついてみよう、と突発的に思っただけの行きがかり上で対象決めた俺が悪いんだけどさ。まあ入試当時「文学部行きたかった」の一念と親への意地で研究計画をでっちあげ、入学後になってからその計画を粉砕されたヤケと焦りの中にあった俺が、やたら「独自性」言われて「んじゃR館で俺しかやらんだろ」と、H氏とも、H教授のGAPとも違う方向−オタ文化ではなくジュブナイルとして−ででっちあげたものだし。


 あーそうさ「麻生俊平の問題意識、少女小説レーベル以外ではまだ英雄系の主役が席巻していた時代に彼が作品で描こうとした等身大の少年少女は、当時としては少し早かったとはいえ、今の家族や少年少女、社会が抱えるものをファンタジーという誇張はありながらも鋭く捉えている」という、それだけのことを修論で書こうとしてるんだ俺は。長期的にはラノベやゲーム系テクスト(シナリオ重視系ゲームといってもいい)の描く少年少女(冒頭で「18歳以上」って書かれているヤツら含むだこんちくしょーめ!)から社会が見えてくると思っている、リアル現役ヲタのニッチ研究市場狙いだ。


 何が見えてくるのかって? 悪いけど俺にだって解らない。いあ いあ はすたぁ!


 ま、「共生」と銘打ったところなんだから、そこを軸にするのもひとつの選択肢かもな、と思った『終わりのクロニクル 4 下』読了明けの深夜。