「面白いこと」の多様化

 前項に加えて。

 富島『制服の胸のここには』の時代には、青少年にとって「面白いこと」は異性のことくらいしかなかったが、笹本『妖精作戦』の時代にはそんなことよりはるかに低リスクで面白いモノがごろごろしていた。そうでなければ沖田なんざとっくの昔につばさの餌食である。
 そして二次元、架空存在にはリスクがないがゆえに、萌だの属性だのに回帰しているにすぎないんじゃないかと。リスクを背負うのは完全に「向こう側」のキャラであって、一昔前の文学のような「身近な」キャラじゃない。

90年代のラノベがエロくない理由

 改めて考えると、結局のところそれはジャンルの内在的な理由、つまり「児童文学はさんざっぱら公教育に使われてきた」とか「YAにおけるパターナリズム」とか、そんな理由はお題目に過ぎなくて、単に市場の拡大とともにターゲット絞り込んだレーベルが分担し始めてただけじゃね?、と思う今日この頃。


 『黒猫館』のノベライズが1987年、『続・黒猫館』が1992年。ナポレオン文庫の創刊が1993年。青心社文庫がセクシャル路線に走りだすのも1995年頃(『メガブレイド』あたりはともかくとしてその後のエスカレート速度とシリーズ放置っぷりは異常……)。キャロットノベルズの『同級生』もそのくらいか。この頃にはターゲット層が確定して棲み分けがはっきりしていたんじゃないかと考える。で、秋津やら平井、西谷を前提に「需要がある」と見込んで囲い込んだことの反射効として、一般向けレーベルでは去勢が進んだんじゃないかと。でもってこれらの文庫は年齢制限なしに安価に買えるメディアだったし、エロがほしければ最初からそういうレーベル買えばいいわけで。
 てかそういえば同時期のジャンプでさえエロかったの「ぬ〜べ〜」くらいじゃね? あとはマガジンの担当で。いやまああの頃ジャンプはダイか剣心かぬーべーくらいしか読んでなかったけど。


 もっとも棲み分け仮説オンリーだと、少女小説、たとえば氷室の『ざ・ちぇんじ』でも「赤ん坊の小指が入ってきたようなもんやがな」「あんたのがゆるみずぎなんとちゃうか」とかぬけぬけとシモネタかっ飛ばしてたのが一気に姿を消したことまでは説明できない。
 なので久美『コバルト風雲録』や『丘の家のミッキー 8 新装版』あたりの記述を見てると「読者層がシモネタのひとつも許容できない層になっている(特に後者の「キンタマ騒動」は過剰反応にも程がある)」という見解を持っているのだが、その原因も曖昧だし、根拠としては弱い気も。
 ま、俺は基本的に戦時国際法ガチガチの攻防が好きなので少女小説にエロスは求めないんだけどな。