こんにゃく問答
ユーザーは航ではなく吾郎さんであり、フック船長だということ。
二次元というネバーランドに居座って悪逆非道の限りを尽くす中年オタは退治され(しかし必ずや第二第三の(以下略))、不良中年になりかけてる浅いユーザを引きずり出す、と凛奈ルートにろくでもない深読みをする俺様プレイヤー様フック船長様*1だが、海己ルートはそれよりも遙かに悪意に満ちている。
演説中、徐々に正面を向いて語りかける海己は、ユーザを観客の位置に「置く」。それまでのユーザの感情も何もかも放り出して*2「空気も読まず」観客の位置にユーザを配置する。もはやユーザは客体でしかない。
そして、あの場面において観客は、在校生ともう一種類「十年以上前のOB」である。海己の演説は「十年以上前のOB」としてのユーザと、プレイ中「在校生であった」ユーザの両面に向けられたものであるといえるだろう。つまりこのシーンでキたユーザは二重のノスタルジーで引きずり込まれているのである。「田舎」へのノスタルジーについては既に多くのエロゲ論系サイトが述べているとおりだが、時間的ノスタルジーを織り込んだひとつの総括として、『この青空に約束を』は位置づけられるように思う。
だからこそ、「約束の日」の吾郎さんのヤケ独白が実感籠もってて笑えるのである。「俺たちの時はそんなハプニングなんか無かったぞ!」。
しかし不良中年であるところの俺様プレイヤー様フック船長様は、ネバーランドで今日も元気に海賊行為にいそしむのである。「ヒロインは甘くて柔らかいんだぞ〜」と「あり得ない幻想」を追い求め、過去のデータから作り上げた超兵器を大量搭載してごてごてのハリネズミにした海賊船*3で、そりゃもうやりたい放題。
幻想は幻想、あり得ないし意味もないと全てに背を向けるならリリー・マルレーンに乗るがいいさ。