異形・アカデミズム・沙耶

エロゲやギャルゲなどの"美少女ゲーム"、ゲーム性失う。ここ10年進化せず プレイヤーは韓流ドラマに夢中のマダムと同じ・・・評論家東浩紀
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/808876.html

 記事見たときはなんか壊れたのかと思ってた。で、ちょっといろいろ考えて腑に落ちた。
 「ああ、東は沙耶を迎撃することを選んだのか」と。

 たまに長文書くと疲れる。年かな。
 もちろんどっかで死ぬほどガイシュツである可能性もある。


 今回の東の発言記事について、私を含めゲーマーの何割かは「今まで擁護してくせに日和やがった」「おまえがいうな」くらいの印象を当初受けたと思う。しかし、ちょっと考えてみると、「東は何で今になって?」という疑問が私の中に出てきてしまった。


 なぜ沙耶を引っ張り出してきたのかというと、「沙耶の唄」はこの状況を示唆しているのではないかと思ったからである。そして、「今さら」東が進化がないことを言い出した理由も沙耶が示しているように思ったからである。


 波状言論美少女ゲームの臨界点+1』の「沙耶の唄」論は、美少女キャラクターの「異形」性とそれを愛好するオタク状況の読みかえに対する言及で留まっているし、その先はビジュアルノベルの可能性と、主人公の動機に関する言及で閉じられている。前半のニトロのインタビューにおいても、沙耶の唄に関する言及はほとんどない。ゲームのエンディングの先にあるものとして触れられているくらいである。この扱われ方にどうも違和感がある。なぜ波状は沙耶への追究をこんなところでやめてしまったのか?
 たしかに沙耶は読みかえれば二次元キャラである。しかし沙耶は物語の進行と共に、人間文明のすべてを乗っ取る鍵であることが明確になる。ならば、この沙耶唄論はもっと直接的に「沙耶=二次元キャラ」ではなく「沙耶=エロゲ文化における大作エロゲ、ひいてはエロゲ文化そのもの」というところまで進まなければならなかった(もっとも、波状サイドはおそらくこの程度のことには気づいていただろうと私は考える。ヒキコモリで当該パラグラフをまとめていることも変だし、インタビュー記事で明らかになるような、「弱さ」だの編集上重複必至のくだらない部分を書いてることへの気持ち悪さもある……*1)。
 ところが、沙耶の意味するものをエロゲ文化そのものだと認めてしまうことは、沙耶の使命である「乗っ取り」までもがエロゲの性質であることを引き受けなければならなくなってしまう。世界を侵し、築き上げられてきた知的財産を一気に乗っ取るという沙耶の一族……過去データ利用で「世界」を席巻する、知識を急速に吸収するが単独では進化しようのない存在。そんな「沙耶」一個団体を引き受けることは、エロゲないしデータベース使用の大量消費をある程度擁護する側には困難な作業だったのではなかろうか。「沙耶」を引き受けることは、その先の「発展性のなさ」という結論を引き受けることになるのだから*2
 沙耶は世界をすべて書き換えてしまったことで「吸収する」対象を失ったが、半分くらいでも人間が残っていれば更なる発展可能性はあっただろう。同様に、オタ比率の増加は「吸収対象」の激減と発展の停滞を意味する*3。その先にあるのは閉塞そのものである。
 あわてるのは奥涯教授に該当するアカデミズムである。可能性があると思い興味を持って接してきたものの行く先がこれでは、その片棒を担いだことを後悔せざるを得ない。あるいは地下室でミイラになるしか。そして、奥涯教授役は女医役に転じる。沙耶を倒さなければ、と。


 で、こんな風に妄想したら「進化がない」発言がすとんと落ちた。沙耶は「未来にキスを」であり、「雫」であり、「AIR」だった。そのジャンルとテキストの発展速度に奥涯教授は沙耶を助ける。が……、というわけである。その後「奥涯教授」が手を貸してしまった萌え市場。全部ショゴスになる前に沙耶を何とかしなければと思うのも無理もない。


 さて、アカデミズムが支援し、その後ろくなことにならないのは、何も「エロゲの沙耶」だけではない。テーマ通りの「認識・美学の沙耶」は当然。マスコミが「召喚」したさまざまな「消費の沙耶」はいうまでもない……ちょっと脳を漁れば、気持ち悪いとしか言いようがない「ファッションの沙耶」がゴロゴロ出てくるはずだ。そしてシャレになってないのが「宗教・カルトの沙耶」と「『全体主義*4の沙耶」。
 これらは誰か(主にマスコミや資本)が召喚し、アカデミズムが支援することによって成長し、既存の支配や統治や消費のシステムを乗っ取って、「酒がうまいと感じられるならそれもいいか」と思わせるような一種の諦観を振りまいて世界を書き換えてしまう……気がつけばみんなショゴス、テケリ・リ! テケリ・リ!(訳:沙耶かわいいよ沙耶)。


 そんな感じで「奥涯教授に相当するアカデミズムは、沙耶の葬りどころを間違えてはいけない」ということを考えてしまったので、なんとなく東の「進化がない」という発言が「今になって出てきたこと」にも納得できた次第。
 もっとも、首尾よく沙耶を倒しても、世界の脆弱性を知ってしまった人間は常にその再臨に怯え続ける。SAN値無くして幻覚見て銃撃ちまくる迷惑なバカも始末しないと。




 ああ、でも沙耶かわいいよ沙耶。そういえば俺何回「沙耶」って使ったっけ?*5


追記:別記事に追記ありhttp://d.hatena.ne.jp/./Kadzuki/20061009#p2

*1:今考えればこれが以前私が叱責された「肩すかし感」か……orz

*2:発展性が本当にないとは私は思っていないが。

*3:そう考えるとエロゲの火サス化・月9化は、しぶとさで張る「別の沙耶」との生存競争である……?!

*4:レッテルではなく現象としての意味で。

*5:タイトル抜いて36回のハズ